長野県の須坂から長電バスで松代というところにやってまいりました。(2018年11月)

 

ここは2012年まで長野電鉄屋代線という鉄道が通っていて、廃止後もバスが代替運転をしています。

50分ほどで松代に着きました。ここは駅舎もまだ残っています。

 

 

松代駅跡には長電バスのほかアルピコ交通のバスも乗り入れています。

松代町は1966年に長野市に編入されました。バスだと長野駅から30分ほどかかります。

新潟にも松代と書いてまつだいという駅もあり隣の県なのでいまいちどの辺のあるのかピンときていませんでした。

ちなみに自分の生まれる前ですが松代群発地震という5年近くに渡って地震が続いた場所でもあります。

 

 

駅前です。とくに大きな店があるわけではありません。

 

 

しばらく歩くと石畳になり小山田家住宅が見えてきます。

小山田家の祖先は武田信玄の武将として仕えていて真田昌幸の長女を正室に迎えるなど真田家とも関係が深い家柄で、この主屋と番所は江戸時代に建てられた上級武家屋敷の遺構として貴重なため国の登録有形文化財に登録されています。

 

 

観光案内所です。本来ならここで情報収集してから歩くのですが、実は時間がありません。百名城のスタンプを17時までに押さないといけないという事情がありこのあたりは早足で歩いています。

 

 

真田宝物館。もう閉館寸前です。

 

 

おやきや総本家の脇を抜けて真田公園へ。

 

 

真田公園を抜けると真田邸に着きました。

江戸時代末期に松代藩9代目藩主真田幸敦が建てた邸宅です。スタンプは無事押せたのですが中を見ることもなく閉館の時間をむかえました。

 

 

真田邸から松代城跡まで距離は近いのですが駅の向こう側にあるので線路跡をこえて駅のほうに戻ってきました。

駅のすぐ裏にあったのですね。

 

 

それではいざ入城です。

 

松代城は武田信玄が北信濃を支配するために築城した城で海津城と呼ばれていました。

その後城主はいろいろ変わりましたが、真田家の3代目幸道のときに松代城とあらためられました。

城内は石垣、堀、門などが復元整備されています。

 

 

太鼓門前橋を渡り橋詰門をくぐります。

 

 

橋詰門をくぐるとすぐに太鼓門。

 


本丸御殿跡は広場になっています。松代城は天守はなく櫓と御殿があったようです。

本丸内には江戸時代中頃まで御殿がありましたが度重なる水害の影響により城の南西側にある花の丸に御殿を移しました。

 

 

石垣は本丸の周囲や出入り口など重要な部分に用いました。

今は櫓はありませんが戌亥隅櫓の石垣は松代城内でも古い近世初頭のものといわれています。

 

 

北不明(あかず)門は本丸北側にある門です。

 

 

ひっそりと静まり返った城内をぐるっと見渡します。時間があればもう少しゆっくりしたかったところですが日も暮れてきました。

 

 

 

そろそろ松代城を後にします。月も出てきました。

 

 

松代城跡を見るうえで土塁も見逃してはいけません。

 

 

再び屋代線の廃線跡を越えます。ここをたどってみたい衝動をこらえながら町中へ向かいます。

 

 

だいぶ暗くなってしまいましたがここからは真田氏ゆかりの城下町を歩きます。

 

 

この場所には1855年に開校した松代藩の藩校、旧文武学校があります。廃藩置県により1871年に藩校としては廃校になりましたが、その後も松代尋常小学校、松代小学校として使用されてきました。

ほぼすべての建物が開校当初の位置に現存していることは珍しく国指定の史跡となっています。

残念ながら訪れたときは工事中でした。

 

 

旧白井家表門です。1846年に建てられた松代藩の中級武士白井家の表門で平成12年にこの場所に移築復元されました。

 

 

真田勘解由家

 

 

城下町を抜けると一般道へ。古い建物も所々見られます。

 

 

少し歩いて紺屋町の交差点を過ぎると宮坂酒造店の酒樽が見えてきます。

 

 

さらに少し歩くとここにも古い建物が。ここは松代ゲストハウス布袋屋というところで築120年の明治時代の町家を改築したゲストハウスです。土蔵は登録有形文化財になっているそうで、須坂でもありましたがこういうところ泊まってみたいです。

隣も古そうな建物でした。

 

 

駅に戻ってきました。近くの地図を見てみるとなんとまだ屋代線が地図に残っていました。

 

 

長野駅に行くバスまで少し時間があるので駅の中で待つことにしました。

中では屋代線の懐かしの写真展という企画をしていて往時の屋代線沿線の様子を知ることができます。

何より駅舎と屋代線の想い出を大切にしていこうという気持ちが伝わってきます。

 

 

おそらく地元の人が毎日掃除をしているのでしょう。観光案内所やバスの待合室として使われていることもありますが1922年に建てられた駅舎はとてもきれいでした。

 

 

線路は既に撤去されているのと暗いので懐かしさとか郷愁は特に感じなかったのですが、明るい時間にここを訪れていたらもっと違う感情が沸き上がっていたかもしれません。

明るい時間のうちにといえば松代大本営跡の地下壕は行ってみたかった。

須坂を出た段階で時間がないことはわかっていたので早々にあきらめたのですが、次長野に行くときは最優先で行ってみたいものです。

 

次回は新潟県を歩きます。

 


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