JUGEMテーマ:お城

 

前回に引き続き2013年の熊本城です。

大天守の中に入ります。

いざ最上階へ。

 

 

まず南側を望みます。

 

 

続いて東側の方角。市の中心部になります。

 

 

西側。手前は宇土櫓。九州新幹線が走る方角になります。

 

 

小天守越しの北側の方角。

 

続いて本丸御殿へ。

 

 

 

熊本城の復元整備計画についてのパネル展示。この3年後の被災によりまた1からのスタートになってしまいました。

 

 

麒麟の間。

 

 

大広間縁側。鶴之間から続く広間の南側の縁側です。

 

 

桐之間。床壁には桐の絵が描かれています。

 

 

江戸中期の画家、矢野雪叟(せっそう)筆の掛け軸。

 

若松之間と昭君(しょうくん)之間。最も格式の高い部屋です。

 

 

 

 

数寄屋。加藤清正は千利休から茶の湯を学び家臣に稽古に当たらせたといわれています。

 

 

本丸御殿脇から下ります。ここには本丸へ続く闇り(くらがり)通路があるのですが写真を撮っていなかった・・・

 

 

熊本城はとにかく櫓が多く、これは何だったかわかりません。

 

 

五間櫓・北十八間櫓・東十八間櫓と続く櫓群です。明治10年の西南戦争の火災焼失を免れ今日に至りましたが、このたびの地震で崩壊してしまいました。

 

 

この時は東十八間櫓は期間限定で内部を公開していました。

 

 

狭間です。 ここから鉄砲で敵を狙い撃ちしました。

 

 

まさかこんなことになるとは思うはずもなく、特別公開であったにも関わらずそれほど写真を撮っていませんでした。

 

 

写真がぶれてしまっていますが石落としです。

 

 

不開門(あかずのもん)。古くから東北の方角は鬼門と呼ばれ、この門を作ったものの通常は閉鎖されていました。

そのため死人や不浄物の搬出時にだけ用いられていました。

江戸時代からそのまま現存する櫓門はこの不開門だけで重要文化財にも指定されていましたが、こちらも地震により完全に倒壊してしまいました。

被災後の写真をみましたがかなりのショックを受けました。

 

 

平櫓です。慶長12年竣工の重要文化財です。

 

 

不開門付近の石垣。

 

 

源之進櫓。武器や武具などの倉庫として利用されていました。

 

 

四間櫓。

 

 

 

十四間櫓・七間櫓・田子櫓。これらも江戸時代から残る櫓です。

 

 

下から本丸御殿を望みます。

 

 

数寄屋丸を望みます。

 

 

 

東竹の丸近辺の石垣です。

 

ここからは二様の石垣の写真になります。熊本城の有名な撮影ポイントです。

 

 

 

 

だいぶ下まで降りてきました。

 

石垣に圧倒されます。

 

 

 

 

2005年に再建された飯田丸五階櫓。

 

 

平御櫓。

 

 

 

下から十四間櫓などの櫓群。

 

 

 

 

熊本城入口に戻ってきました。

 

自分が訪れたところが被災したりなくなってしまうとショックは大きいものです。

月並みではありますが一刻も早い復興を願わずにはいられません。

 

 


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