- 2019.11.06 Wednesday
大分県大分市で街歩き〜お城へ行こう・大分府内城
大分市の市役所や県庁のある昭和通りです。
県庁の向かい側に内堀と西之丸角櫓が見えてきました。
今回は100名城のひとつである大分府内城を訪れました。(2018年10月)
大手門ではなく駐車場の入口から入ってしまいました。
中に入るとこれまで訪れた城との違いに戸惑いを覚えました。
右側は駐車場、正面には天守らしきものが建設中、周りも工事中のところが多い。
一番戸惑ったのがこれ。天守を造っていること自体全く知らなかったのと、天守閣にしては骨組みが少なく華奢でこれはなんなんだという思いがずっと頭の中を回っていました。
事務所もなく誰かに聞くこともできなくて気持ち悪いままでした。
この時はそれでも天守閣を造っているものだと思い込んでいたのですが、あとで調べたらこれが完成形で仮想天守イルミネーションに使われるようです。
で、天守ですが1597年福原直高が入封後築城を開始して1599年に望楼型の四重天守ができました。その後、竹中重利が層塔型に改修しましたが1743年の火災で焼失、その後天守が再建されることはありませんでした。
ちなみに西之丸二階櫓や着到櫓は残っていたのですが空襲で焼けてしまいました。
まずは入って左側の廊下橋を渡ります。
廊下橋は平成8年に再建されました。江戸時代の軍学者が理想の橋の形としたもので、敵の侵入時には床をはずします。
廊下橋から内堀両側をみてみます。
廊下橋の先には松栄神社という神社になっています。もともとこの場所には山里丸と呼ばれた郭があり、茶の湯や能などの芸能が営まれました。
松栄神社側から本丸櫓台と天守台を眺めます。
天守台の下には祠があります。福原直高が築城の際、度重なる水害で工事が進まなかったことから人柱を建てることになりました。
人柱の家族のものは一生安楽に暮らせるというお触れに孝行娘のお宮が一家を救うために人柱になりました。
その後、築城は順調に進みお宮は府内城の鎮守としてあがめられたという話が残っています。
続いて人質櫓を見渡します。
人質櫓は本丸北東部に人質場と呼ばれた曲輪に位置して1861年に再建された江戸時代から残る貴重な櫓です。
ちなみにもうひとつ江戸時代から残る櫓があるのですが修復工事中でみることはできませんでした。宗門櫓といい昭和通り側から見ることができます。
天守台に登ってみます。
見渡してみましょう。まずは人質城の方角。
廊下橋。
駐車場の先に工事中の宗門櫓。高いビルは大分合同新聞社、右側の建物は大分市役所。
正面には仮想天守。
二階櫓。
大手門です。本来ならここからいざ入城といきたかったのですが。ここから退城させていただきます。
市役所の裏側にある荷揚町小学校跡地では武家屋敷跡の発掘調査が行われていました。
神屋氏と岡本氏の屋敷があったそうです。
進展の報告もパネルで掲示してあり、ここから井戸跡、ゴミ穴、火災処理土坑(火災後の片づけ穴)、水溜めやトイレに使用していた埋甕などが見つかっています。
そして別府で気になっていたりゅうきゅう丼を食べれる店をついに発見しました。
沖縄ではなく大分の郷土料理です。
探した分、美味しさは倍になりました。
これで大分を離れます。竹田や杵築、中津などまだまだ行きたいところがあるので大分はまた行きたいと思っております。
- 大分県
- 01:25
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- by さんぽっぽ