- 2018.11.12 Monday
名古屋市中区で街歩き〜名古屋城と周辺レトロめぐり
名古屋市営地下鉄名城線に乗って市役所駅で降ります。(2012年10月)
出入り口はお城の門をイメージしています。
地上に出ると大津通と出来町通という幅の広い道路があってバスも頻繁に走っています。
撮った場所は違いますが走っているバスは名古屋市営バスと名鉄バスで運行する基幹バス。
名古屋市営バスは市役所や県庁もある通りなので頻繁に見かけます。
そのほか豊山町へ向かうとよやまタウンバスも走っています。
市役所駅がある名古屋市中区は古くは関ケ原の戦いに勝った徳川家康が名古屋の地に築城を命じ、それに合わせて清須の町そのものを名古屋に移築させた際、名古屋の城下町は碁盤の目のように区画され武士、商人、職人などが移ってきました。
それが今の中区のあたりになるのですが当時は人口は10万人くらいで江戸、大阪、京都に次ぐ、日本第4位の都市になりました。
明治時代、廃藩置県により名古屋県、そして愛知県となり1889年に名古屋市になった時には人口は35万人になります。
中区が誕生したのは1908年、人口は約15万人、それから110年たった2018年人口は8万人になりました。
最初あれ?と思いましたが4区から16区に細かくなったので人口が少なくなったようにみえます。
駅を降りたのは8時半、お城の中に入れるは9時からなのでちょっと散策をしました。
まず目に入ってくるのは堀の石垣、算木積の切込み接ぎと打ち込み接ぎの両方が見られます。
旧二之丸東二之門です。1963年二之丸に愛知県体育館が建設されるにあたり解体され、1972年に今の場所に移築されました。
国の重要文化財です。
時間がまだあるので名古屋能楽堂によってみました。
1997年に完成し世界遺産の能・狂言などの伝統芸能の他、国際会議や結婚式など様々な催しが行われています。
正門前に人が集まり出し始めました。そろそろ開城です。
正門は明治43年に旧江戸城内の蓮池御門が移築されましたが、第二次大戦で焼失したため、昭和34年に天守閣とともに再建されました。
それではいざ入城。
名古屋城といえば金の鯱、もちろんレプリカですが入ってすぐのところに展示してあります。
実物大でなんと2メートルもあります。
鯱は火よけのまじないとされてきたにもかかわらず焼失してしまいます、再建時は一番上に釣り上げ設置した後に金を貼っていったとのこと。初めて知りました。
緑が多くなかなか天守閣がみえてきませんが、このあたりまでくると立派な天守閣が見えてきます。
1610年、徳川家康が加藤清正や福島正則らに築城を命じ、1612年にほぼ完成しました。
明治時代廃城になる危機を乗り越えましたが、1945年名古屋空襲で焼失してしまいます。
ただ図面や資料が多く残っており、1959年に再建されました。
ちょうどこの時はお城好きの某タレントたちがロケをしていました。
真下からぐるっと見回します。
それでは天守閣の中に入ってみます。
1階には再び鯱。刀剣や刀装具、金具など展示してあります。
2階は企画展示室、撮影は禁止です。
3階は城内や城下町の暮らしを再現し紹介しています。
4階は武具、武器の展示、5階は体験コーナーになっています。エレベーターもあってこれはこれで楽しめるのだが、個人的には中も当時のままのほうがいい。
今は木造の天守閣を立て直すため入城できなくなっていますがこのあとどうなるのでしょうか。
7階展望室に上がって名古屋の町並みを眺めます。まずは東側、名古屋城庭園の先の上下2本の線は名古屋高速。
南東の方角愛知県体育館(ドルフィンアリーナ)の先には愛知県庁、名古屋市役所など。
南西は名駅の方角になります。セントラルタワーズなどの高層群は相当遠いところからでも見えます。
北西の方角、住宅地が広がります。
天気が良ければ犬山城や岐阜城も見渡せるそうです。
再び外に出てきました。このときはまだ本丸御殿の再建工事中。2018年6月から公開しました。天守閣も建て替えるようなのでこれが見納めになってしまいました。
大津通沿いの名古屋市役所。1933年に竣工、平林金吾によって設計されました。
辰野金吾なら知っているのですが辰野金吾は1854年生まれ、平林金吾が生まれた1894年にはまだ辰野金吾は工手学校(現工学院大学)などの設計には携わっていますが、本格的な活躍は1900年にはいってからなので偶然なのでしょう。
名古屋市役所は重要文化財です。どちらの金吾さんもすごいですね。
市役所の隣は愛知県庁、1938年竣工、こちらは佐野利器、土屋純一が設計に携わりました。こちらも重要文化財。
さらにその向こうにテレビ塔も見えます。
今度は出来町通を名古屋城とは反対の方向に歩きます。出来町通は清水橋街園で上りと下りの二手に分かれます。
このあたりは名古屋城 東大手門跡があり橋の下は空堀になっています。
実はこの堀、今では地下を走っている名鉄瀬戸線が栄に乗り入れる前まではこの堀の中に駅があり大津町というところまで走っていました。
近くには赤煉瓦調の立派な建物があります。名古屋市市政資料館です。
1922年に建てれたネオバロック様式の建物は裁判所として使われていました。1979年に裁判所としての役目を終えると保存工事を経て1989年に名古屋市市政資料館としてスタートしました。
この界隈は名古屋市が文化のみちと命名して徳川園や豊田佐助邸など歴史的建造物が多く残り、近くには白壁・主税・橦木町並み保存地区があります。
黒を主体とした土塀や板塀に蔵や白壁の建物や大正から昭和初期頃に建てられた近代洋風建築が多く残っています。
最後にもう一度大津通へ。
愛知県庁大津橋分室です。1933年愛知信用組合連合会の建物として竣工し,1957年に愛知県に寄贈されました。
名古屋は大好きで2012年以降毎年のように来ているのですがこのあたりは2013年6月に撮ったものです。
この2年後に愛知・名古屋戦争に関する資料館に変わりました。
隣も近代建築です。伊勢久株式会社とあります。調べたら医療、環境系の薬品や機器、プラントなどの会社のようです。
建物ができたのは昭和5年。
この建物も空襲を切り抜けてきたのですね。
次回は西区の円頓寺商店街を歩きます。
- 愛知県
- 01:41
- comments(0)
- -
- by さんぽっぽ