長崎市の出島の続きです。

カピタン部屋の裏側には料理部屋がありました。

 

 

出島の商館員たちは昼夕2回カピタン部屋に集まって、皆で食事をとるのが習慣でした。

ここはそのための調理場で、オランダ人が費用を負担して建てさせた数少ない建物のひとつです。

 

 

大砲が展示されていました。

1954年に浦上河口付近で発見されたもので1640年に製作され、アムステルダム支部所属の船舶に搭載されていたものと考えられています。

 

 

日本側で出島管理の実務を一手に担ったのが、長崎の有力町人から奉行が選任した出島乙名です。

貿易事務一切を行うとともに商館員の監視役でもありました。

ここは貿易期間中のみ使われた建物で乙名が居住したほか、金庫番人役人の仕事場や見張り番人の詰所も兼ねてました。

 

 

この部屋は出島に出入りした日本人役人の詰所です。

出島和蘭商館は長崎奉行の管轄で、町年寄の支配のもとにあり、出島乙名や阿蘭陀通詞など出島に関係した地役人の数は200人前後いました。

 

 

ここでは出島乙名の役割と生活を再現しています。

貿易の期間中は乙名部屋に滞在し、貿易や商館員の交代に関わる仕事を行いました。貿易の時期以外は出島内の建物などの修繕工事の責任者として働きました。

 

 

表側に戻ってきました。

砂糖や個人商売用の脇荷(わきど)の収納に使われた三番蔵です。

ピンクのカーネーションを指す「アニェリール」という名前がつけられています。

他の蔵と同じように花の名前がつけられていました。

 

 

隣は拝礼筆者蘭人部屋。

帳簿などの筆記を行うオランダ人の首席事務員が住んでいた建物で、発掘調査で土中から水銀が検出されたことから、工房や医薬関係などここで特殊な仕事をしていた可能性があるそうです。

 

 

ここでは出島の蘭学についての展示と紹介をしていました。

これは一挺(いっちょう)天符尺時計というもので、尺時計は上部の機械から少しずつ下がってくる錘を指針として、文字盤の目盛りを読み取って時刻を知る形式の時計です。

文字盤は時刻を刻んだ駒が上下にスライドする仕組みになっていて、節季ごとに不足時報の時刻にあわせて駒の間隔を調節して使用しました。

 

 

二挺天符台時計です。

和時計の天符は上記のような1本しかなかったのですが、当時の日本の不定時報で使用するためには昼と夜の時刻の間隔が異なるため、錘を掛け替えて駒の間隔を調整して使っていました。

その労力を軽減するため昼夜兼用の2本の天符を取り付け自動的に切り替えられるようになりました。

それでも半月に一度は調節が必要でした。

 

 

地震予知器模型です。

大地震が起きる前触れで地磁気が変化すると、均衡が破れ錘をつけた鉄片が磁石から落下する仕組みになっていますが、あまり使えないような気がします。

 

 

幻灯機です。

スライド映写機の原型みたいなものです。

 

 

のぞき眼鏡です。

台の上に「眼鏡絵」と呼ばれる風景画を置き、これを上部の箱に斜めに取り付けた鏡で反射させた像をレンズを通して立体的に捉え実物を見るように楽しめるからくりです。

 

 

須弥山儀(しゅみさんぎ)は仏教の宇宙観による天動説に基づいて作られたもので、時計、カレンダー、月や太陽の動きを示す天象儀の機構を併せ持つ装置です。現代版プラネタリウムみたいなものでしょうか。

 

 

きれいに撮れませんでしたがエレキテルです。

教科書にも出てくるので知っている人も多いと思います。平賀源内がつくった静電気の発生装置です。

 

 

筆者蘭人部屋に入ります。

オランダ商館員の住居です。建物の内部の資料が少ないため展示室になっています。

 

 

 

出島が貿易や文化交流を通じて世界と日本各地とつながっていた様子をわかりやすく紹介しています。

 

 

このときは企画展示としてケンディを展示していました。

古陶磁器研究家アリスティア・シートン氏の所有しているケンディという持ち手がなく注入口に上から水を入れ、器の筒状の部分を手でつかみ、適当な高さを掲げて側面にある抽出口から水を口に注ぐ水差しの総称です。

 

 

十四番蔵です。

輸入品の砂糖が保管されていました。この蔵をオランダ人は「再生」と呼んでいました。花の名前じゃないのかとこころの中で突っ込んでしまいました。

 

 

ここでは蔵の下の発掘遺構や出島築造の様子、出島と長崎の町をつなぐ橋を紹介しています。

 

 

 

乙名詰所です。

この建物は出島の管理を行う長崎の地役人「出島乙名」が貿易が行われていない冬から春にかけて仕事をした詰所で、通行する人々の監視をしていました。

 

銅蔵の1階には輸出用の棹銅が保管され、2階には輸入用の鮫皮が治められていました。

ここで日蘭双方の立ち合いのもと棹銅を箱から取り出して再計量の確認作業がおこなわれていました。

計量秤や棹銅入箱を展示しています。

 

 

ここまでが鎖国期の建物の復元でした。

 

 

ここから幕末の頃の出島の建物の復元です。

新石倉は1865年に建てられた石造倉庫で1967年に長崎市が買い上げ、一部旧材を用いて1976年に復元されたものです。

1865年は出島オランダ商館が廃止されてから6年後のことです。

ここでは出島の歴史を映像で紹介しています。

 

 

旧石倉は安政の開国後に建てられた石倉倉庫の西側半分を1956年に復元したものです。

幕末の商社の石倉で坂本龍馬たちの海援隊とも取り引きを行いました。

 

時代は進み明治期へ。

旧長崎内外クラブです。1903年に建てられた洋風建築で1968年に長崎市が買い上げました。

 

 

1階は長崎の食をテーマにしたレストラン、2階は居留地時代の展示を行っています。

この日は朝からとても暑く、ここでしばし涼をとりました。

 

 

 

旧出島神学校は1878年に建てられた、現存するわが国最古のキリスト教プロテスタントの神学校で1893年に増築されたのが現在の姿です。
1階には料金所や出島売店・休憩室などがあります。

 

 

石倉の後方には表門があります。平成2年に復元されたものでもともとは川の中央付近にありました。
江戸時代には、対岸の江戸町側から表門橋を渡ると、この表門があり、ここに詰めていた探番(さぐりばん)が出入りする人を改めていました。

 

 

奥のほうにはミニ出島の模型がありました。

 

 

他にもオランダ石門や1954年に長崎市立博物館より移設された陶製の門柱などが展示してありました。

 

 

2回に渡って紹介した長崎出島は見どころいっぱいでした。

次回は東山手へ向かいます。

 

 


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